2025年10月01日
第97回アシスト通信 2025年10月号
――大衆がもっとも好んで語るもの・もっとも関心を持つもの――
それは、他人の失敗。
その証拠に‥
テレビ、ネットでは毎日、誰かの失敗を繰り返し取り上げております。
人は他人の9度の成功よりも、1度の失敗を話題にする。
「他人の失敗は蜜の味」とも言います。
SNSや口コミ炎上の火種をつくるのもまた大衆であり、人。
明日は、私もその渦に巻き込まれているかもしれない(;^_^A
人は他人の成功には鈍感で、失敗には敏感
悲しいけれど、これが世間であり、人間の本性の一面でもあると思います。
では、何もしなければ失敗もせずに批判もされないのか?と言うと‥
それはそれで「あいつは怠け者だ」と言われるだけだったりします。(笑)
人は何か行動を起こせば、その過程で必ず失敗することはあるでしょう。
何かを始めるにあたり、失敗は標準装備されていると感じております。
その失敗は、何のために失敗したのかで「失敗の価値」が変わると思います。
それは‥他人を喜ばせるために失敗するのか?
自分の欲を満たすためだけに失敗をするのか?
――まったく違う。
挑戦したからこそ失敗することもできる。
始めたからこそ、つまずくこともある。
人は何かを得たいから行動を起こし、行動するからこそ失敗することも許される。
批判とは「行動した者だけに与えられる活動証明」であり、
次に進める「通行手形」です。
傍観者は、酒のつまみに他人の失敗を数えるだけ。
けれど主役は、舞台に立ち、挑戦し、恥をかき、たとえ転んでも泣きながら次に進むために、失敗と直面し、この失敗から何を学べるかを自問する。
他人の人生を眺めるだけの人生を選ぶか‥
それとも、自らの人生の主役として舞台に立つか。
――選ぶのは自身――
失敗を積み重ねている中で、途中であきらめると
「ほら、言ったこっちゃない!」と笑われるが、
最後までやり通すと「やっぱり、あいつは見所のある奴だって思ってたよ」と言われる。
――他人の失敗は蜜の味ではなく、自身の失敗は夢を叶える蜜の味――
私の友人の中には、他人の失敗に一切の興味を示さない方もいますが、
やはり、その方がカッコいいと感じます。
私もそうならなければ((;’∀’))汗
他人が失敗した時“挑戦の証”と称賛し、応援できる自分でありたいと思います。
今日のあなたの素敵な出会いを祈っております。
営業とは応援だ‼
最後まで読んでいただいた貴方の優しさに、心からの「ありがとう」を贈ります。
日本開業医支援研究会
宮本新治
2025年9月29日